伊藤若冲の未知の作品が発見されたというニュースを聞き、あらためて錦市場を歩く

京都

江戸中期に活躍した伊藤若冲の未知の作品が発見されたとのニュースが少し前に流れた。ヨーロッパにあるという情報をもとに確認したところ、76歳の時の作品と断定されたという。野菜や果物が描かれた巻き物をテレビ映像で見たが、画面越しに迫力が伝わってきた。保存状態のよさにも驚いた。どのような方が、どんな目的で所有していたかが知りたい。ただ大切に保管されていたことは容易に想像できる。

ファンの方はよくご存知とは思うが、若冲は京都・錦市場の出身。高倉通側の入り口の上部には、鶏を描いた作品が掲げられている。

描かれてから200数十年が経った今見てもリアル以上にリアルなのは純粋にすごい。

こういう作品を見ていつも感じるのは、人間の頭の中にある何かを「取り出す」と意外なものが表れるということ。もちろん表現なので、そこには高度な技術、鋭いセンスがあるのは言うまでもない。ただ若冲の肖像画を見ると、眼光は鋭いが、まあ普通の地味なおじいさんだ。しかしそこからアウトプットされたのは、見ての通り、色鮮やかで、実世界を実世界以上に見える魅力的な姿。まさしくこれが若冲の頭の中にあったのだ。

若冲だから特殊なことのように思えるが、よく考えると今、私たちの身の回りにあるのは、すべて人間の頭の中にあったものだ。

たとえば街を歩くと見える建物。それが実際の物になるためには設計図があって、その前に「こんなビルを建てたい」と発案した人がいる。パソコンだって、メガネだって、今、私の目の前に置いてあるコップでも、すべて人間の頭の中にあったものを具現化しているだけだ。となると、われわれが大事にすべきはモノではなく、イメージしたり、考えたりすることだと思うに至るわけだ。モノなんていつか必ず朽ちてしまうが、イメージやアイデア、考えはずっと残る。

さて若冲に話を戻すと、その生家跡のプレートが高倉通側の入り口柱に設置されている。

いつもうろうろするこのあたりを若冲が歩いていたかと思うと不思議な気持ちになる。

さて錦市場の現在について触れておくと、かつて「京の台所」と言われた姿はもうない。今は外国人観光客で溢れ、「世界の台所」や「世界の飲食店」になっている。

鮮魚店で品定めしているのは白人女性。

店内で飲み食いできる商売が大流行り。ちなみにこれはまだ午前中だが、すでに飲んでいる人も多い。

ちなみに錦市場は、歩きながらの飲食を禁じている。これは他のエリアにある商店街と違う点で、、京都ならではの特徴。いろいろ書いたが、若冲のニュースを聞いて、錦市場を歩いたという話だった。

 

 

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