こないだ京都の老舗ライブハウスへ行った。音楽を聴くのではなく、出演のためだ。私のプロフィールにもあるように、ちょくちょくギターを弾くし、今回、久しぶりにステージに立った。コロナ禍では全然活動しておらず、もう六年ぶりになる。
演奏についての感想は別の機会に譲るとして、今回、この文章を書くに至ったのは、その日、ある人と、とても味わい深いやりとりを体験したためである。ある人というのはライブハウスの女性店員で、名前も知らない。しかしその人との会話にグッときたのだ。
演奏後、会場を出る際、私は飲み食いした代金を支払おうとした。焼酎やらビールをたくさん飲み、さらにチャーハンやらも頼んでいた。そのため、まあまあ酔っ払い、演奏にも支障をきたしたわけだが、それはいい。支払いの際、私は伝票を渡して次のように言ったのだ。
「おいくら万円?」と。
伝票には金額が書かれておらず、店員が都度計算した額を教えてくれる。いかにも内向的そうで、割と無表情なその若い女性は、電卓を打ち終わり、まだ手元に視線を落としたままで、ぼそっと、しかし明確にこう言った。
「3500万円!」
感激したね。その口調にはなんの躊躇も感じられなかった。こちらが「おいくら万円」と聞いたこともあるが、その答えはこの土地の人間としてパーフェクトだった。
もちろんこのやりとりのベースにあるのは、吉本新喜劇の定番シーンだ。劇の序盤、うどん店に入ったカップルが食事後、支払いをするため席を立つ。彼氏役の方が「おっちゃんいくら?」と聞くと、店主は伝票を見て、真顔で「800万円!」と答える。するとその客はもちろん店内の他の客も全員がこける、あれだ。
近年は東京はじめ、関西圏以外でも普通に吉本新喜劇を見ることができると聞く。しかし、私がライブハウスで体験したようなシーンは、東京では実際に体験できないことだろう。関西出身で東京に住んでいる人は別だが、ずっと東京、または首都圏で生まれ育った人にはなかなかマネができない性質だ。
以前、この手のやりとりについて、取引先の東京人に教えたことがある。もちろん関西人の私は東京人も面白がるだろう、と内心期待しながら。しかし相手はぜんぜん面白がらなかった。「800万円っていうんですよ、大阪のうどん屋は」というと、その東京人は、こう言った。
「お金のことで、そんな嘘言っちゃダメだよね」──。
「あぁ、これはあかんわ」と思い、私はすぐに話題を変えた。まさに「しょーもな」とはこのことである。
やはり関西は素晴らしい。同じ土壌で育っているだけに、共通の感覚をもとに会話ができる。この感覚が通じ合うこと、その無言の了解こそが、われわれの生活をいかに滑らかに流してくれているか。
ちなみに私が話をした、その女性店員に出身地を聞くと、大阪だと言った。私は「さすがやな」と言って、ライブハウスを出た次第である。
「3500万円!」の返答は、単なるボケやギャグではない。それは、この土地で育まれた共通のユーモアの作法と、それを躊躇なく口にできる粋な心意気が為した業だ。日々の生活の中で、このようなちょっとした遊びや余裕がいかに大切であるか。その夜、私は笑いの境界線について考え続けた。



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