三重県伊勢市のおかげ横丁の家賃がえらいことになっているらしい。アップした写真を見てもらうとわかると思うが、あれだけ人が流れてくる場所である。京都の錦市場で店を構えるようなもので、放っておいても客が勝手に吸い寄せられていく。商売の神様に背中を押されているような立地だ。成功の確率は高い。だから家賃も高い。理屈としては単純だ。
話をしてくれたのは、そこで店をやっている知人。毎日忙しく繁盛しているのは良いことだが、やはり体はへとへとになるようだ。贅沢な悩みと思えるが、本人たちにとっては切実な問題なのだろう。
「物件を誰かに貸して、家賃収入で生活した方がゆっくりできるんじゃないか」。そんなことも考えるらしい。冗談っぽく笑っていたが、半分は本気なのかもしれない。にぎわいの中にいるものだけが知る、甘さと苦さが混じった現実である。
一方で、外からの参入者が増えているようだ。組合の決まりごともあるようだが、強制力はなく、古くから入っている人の発想とは違う行動を起こすものもいるという。そこまで強い言葉ではなかったが、秩序が少しずつ乱れている気配を確かに感じている様子だった。にぎわいの裏には必ずこうした小さな軋みが生まれる。人が集まる場所の宿命である。
伊勢神宮の内宮という神聖な場所なのに、歩いていると、確かに雑多な空気が混じっている。観光客の笑い声、店員が忙しく働く動作音、荷物を運ぶ人の足音。すべてが混じり合い、独特の雰囲気を醸し出している。そこに人が集まってくる。にぎやかさは魅力であり、同時に、重い何かも感じる。静けさを求める者にとっては、少し息苦しいかもしれない。
それでもこうした場所には独特の生命力がある。人が動き、物が売れ、金が回る。そこにへとへとになっている店主がいて、横柄に見える参入者がいて、観光客が写真を撮っている。すべてが同じ風景の一部である。なんだか不思議だ。
帰り道、ふと「繁盛とは何か」と考えた。儲かることなのか、人が集まることなのか、それとも忙しさにストレスを感じながらも店を続けていることなのか。その答えは出ない。人それぞれの考え方、人生のステージ、置かれた状況によって捉え方も様々だからだ。
おかげ横丁を歩きながらそんなことを思った。賑やかで、少しざわついていて、どこかそれでも愛おしい。人が集まる場所とは大体そういうものだ。



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