落ちている財布は、「交番に届ける」か「神様のおぼしめし」か──共生時代の一考

先日、外国人と結婚している男性と飲んだ。本人は日本人である。ビールを一口飲んだところで、「妻の国ではね」と話し始めた。どうやら、向こうでは“騙された方が悪い”という感覚があるらしい。油断した方が悪い、という理屈のようだ。

日本では逆である。騙した方が悪い。法律だけでなく、普通の感覚としてもそう思っている人が多い。子どもの頃からそう教わってきた。

思い出した話がある。道に財布が落ちていた時のことだ。日本なら、まず「困っているだろう」と思う。交番に持っていく。だから、ほとんど場合は返ってくる。返ってくるから、また誰かが届ける。そういう循環がある。

一方、別の国では、財布を拾ったら「神様のおぼしめし」と受け取るという。与えられたもの。ありがたい、ラッキーと考えるらしい。どこの国だったか忘れたが、妙に印象に残っている。こういうのが文化の違いというものだろう。

以前、欧米人の知り合いが日本でパスポートを落とした。平気な顔をしていた。「日本だから戻ってくるよ」と言う。実際に戻ってきた。あっさりと。治安の良さを褒められると、日本人としてはちょっとうれしい。

ただ、こうした“当たり前”は、人口減少の時代に揺らぎつつある。コンビニに寄れば外国人スタッフがいる。街を歩けば観光客がいる。生活のあちこちで、異なる感覚と知らぬ間に接している時代である。

しかし感覚が違うと、摩擦も起きる。これは避けられない。財布を拾った時の受け取り方の違いを思い起こしてもわかるはずだ。避けられないちょっとした感覚の違いというのは簡単だが、実は根は深い。騙された時の「油断した方が悪い」と「騙した方が悪い」の差も同じである。

摩擦が起これば、トラブルに発展する可能性も否定できない。そんなことをぼんやり考えながら、知人男性と飲んでいた。

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