七月十七日、祇園祭の山鉾巡行の日だった。私は四条烏丸に事務所を構えているが、この日は四条通の横断が制限されるため出勤するのにも一苦労する。人波を縫って歩きながら、ふと昔の祭りの記憶がよみがえった。
かつて山鉾巡行では、山や鉾の上から粽が撒かれ、沿道の人々がそれを受け取っていた。鉾に乗っている友人に向かって「おーぃ、こっちに投げてくれ」と大声で叫んだものだ。あの粽撒きも、今はもうない。見物客が奪い合って怪我をする事故が相次いだために、昭和五十八年(一九八三年)に全面禁止となったのだという。今となっては、あの風景も遠い話だ。
また巡行を見物する際も、警察官が道路に立ち、人々が歩道からはみ出さないよう厳しく目を光らせている。昔は、山や鉾の至近まで近づいて見ていたものだが、それが今では、遠巻きに眺めるしかない。
最近、もっと気になることがある。山や鉾を組み立てる「山建て」「鉾建て」の現場を通りかかるときのことだ。以前は、その場の混み具合を見ながら、自転車を降りたり、あるいはそのままゆっくり通り過ぎたりと、こちらの判断に任されていた。ところが近年は必ず警備員が立ち、ずいぶん手前から「降りてください」と指示される。規則が細かく、そして厳しくなったと感じる。
不思議なのは、指示されて降りることと、自分から降りることの間にある違いだ。山や鉾といった神聖なものの横を通るとき、かつては誰に言われるでもなく自主的に速度を緩め、頭を下げるような気持ちが自然と働いていた。それが今は、規則に従うだけの動作に置き換わってしまったように思える。
近年、世の中全体が、何かにつけて規則、規則と、息苦しさを覚えることが増えた。千年以上続く祇園祭という、本来もっとも自由で自主的な祭りのはずの場でさえ、その流れは確実に及んでいる。


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