賑わえば賑わうほど錦市場の価値が低減するという話

京都

数ヶ月ぶりに錦市場を歩いた。以前は原稿執筆に疲れた時、頭を休めるためによく歩いていたものだが、もうそういったことはしなくなった。

その理由は単純だ。以前の錦市場ではなくなったからだ。ニュース等でもよく報じられているが、歩いているのは外国人客ばかりであるばかりか、その多さに足を踏み出すことさえ難しい。10年以上前はいつ行っても普通に歩けていた。あの頃が懐かしいなどというつもりはぜんぜんない。だが、この変わりようには正直驚くばかりである。

繁盛しているのはいいことなのは間違いない。しかし、これからの錦市場を考えた場合、前途はかなり難しいと思うのだ。今回は、この市場の現状と、将来についてちょっと考えてみたい。


「京の台所」から「世界の食堂」へ

そもそも、人々が錦市場へ足を運ぶ理由は何だろうか。端的に言えば、そこが「京都らしい」からだ。京都にしかない食べ物、雰囲気、文化、振る舞い、食べ物、言葉、接客、人間関係、そういったものが色濃く残っているから、他府県からも、海外からも人は来る。私も他府県を観光するのは、同じようにその土地特有の何かを求めてだ。

昔、私の母はよく「錦へ行ってくる」」と言って、買い物に出掛けていた。買ってくるのは、地鶏が産んだ卵とか漬物、練り物といった、いわゆる「京の台所」らしい品々だった。食卓を彩る素材を求めて、近所の人も通っていた。

そんな考えのもと、今の錦市場の現状を見ると、外国人客向けの立ち飲み酒場や、その場で食べることを前提とした総菜店など、どこにでもあるような店が急激に増えた。一方、昔ながらの商いをする生鮮食品店、加工食品を扱う店は減っている。

その結果が、今の姿である。地元の人たちは、その喧騒と変化を嫌って市場から足を遠ざけた。ついで日本人観光客も足を運ばなくなった。京都の中心部を訪れる日本人観光客が減少傾向にあるのも、こうした現象を見れば納得できる。


将来に見えるもの

錦市場の現状と将来を考えた場合、どうなるか。乱暴な言い方をすれば、もう外国人相手の店しか増えないのは目に見えている。今後、新たに地元の人が買いたくなるような漬物店、八百屋、練り物の店なんかが出店するとは考えられない。外国人相手のビジネスが好調ということは、地価や家賃も上がっているはずだ。その中で、わざわざ地元の人が買うような、利益率の低い店が出るとは思えない。

かつての「京の台所」は、今や「世界の台所」、いや、いっそ「世界の飲食店街」とでも呼ぶべき姿に変貌してしまった。

ここまで考えて、最初のところに戻る。人々が錦市場に来る理由、それは「京都らしさ」があるからだった。しかし、今後、錦市場の中に「京都らしい店」が増える見込みは少ない。むしろ、このまま外国人向けに特化していけば、市場の魅力は次第に薄れていくと予想できるのだ。

要するに、賑わえば賑わうほど、京都人、また日本人観光客にとり錦市場の価値は低減するという、皮肉な状況が起きている。

とはいえ、需要のあるものを売るのが商人というものである。今の姿は、市場の原理からすれば、当然である。だが、迎合した商人が市場を支配する時、われわれ客は一体何に金を払えばいいのか。この問いへの答えは、まだ自分でも出ていない。

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