かつて「京の台所」と謳われた錦市場も、今や「世界の飲食店街」と呼ぶにふさわしい変貌を遂げた。日中のあの喧騒、とりわけ諸外国から押し寄せる観光客の熱気には、ちょっと気圧されるものがある。最近の私は、昼間にこの通りを歩くことはとんと無くなってしまった、というのは少し前にも述べた通りだ。
ふと、夜の錦はどうなっているのかと気になり、久しぶりに足を向けてみた。

営業を終えた店の前を歩く
十数年も前なら、午後五時を回れば各店は手早くシャッターを下ろし、通りからは人影が消えたものだ。夜更けともなれば、あまりに誰もいないので、自転車にまたがって(もちろん、ゆっくりとだが)アーケードの下を悠々と走り抜けた記憶がある。あの静寂こそが、かつての錦の夜の顔であった。
午後八時を過ぎた錦市場に足を踏み入れる。店の前にはゴミ袋が出され、一日の終わりを告げているが、どうしたことか、まだ灯りのついている店がぼちぼちと目に付く。昔に比べて営業時間が延びたのだろうか。詳しい事情は知らないが、五時以降も暖簾を掲げている店は、以前より確実に増えているようだ。

灯りの残る店頭。以前よりも夜が長くなったことを感じさせる光景
歩いてみて驚いたのは、その人通りの多さである。日本人の姿も混じるが、その半分ほどは外国人だ。夜の静寂を楽しもうという目論見は、見事に外れた。これだけを見ても、錦市場はもはや過去のそれとは別のものに変質したのだと痛感せざるを得ない。突き当たりの錦天満宮まで歩を進め、そこでくるりと引き返し、再び高倉通から市場を後にした次第である。
暗がりの向こうに錦天満宮の灯りが見える。市場の突き当たりまでやってきた
そういえば、一つ言い忘れていた。 かまぼこや練り物で親しまれてきた「丸常蒲鉾店」(昭和二十二年創業)が、今月、二〇二五年十二月をもってその長い歴史に幕を下ろすという。

シャッターの降りた丸常蒲鉾店。若冲の「双鶏図」が静かに閉店の時を待っているかのようだ
次にはどんな店がやってくるのかは知らない。だが、この店のように、京都の人々に永く愛される、あるいは「京都らしさ」を湛えた店が新しくオープンする光景は、どうにも想像しにくい。
もし、ここがまた外国人向けの派手な飲食店にでもなれば、京都の風情はさらに削り取られていくと私は思うのである。少し前に私は、「賑わえば賑わうほど錦市場の価値が低減するという話」という記事を書いた。私の主張はすべてそこに書き連ねてあるので、未読の方はご一読いただければ幸いだ。

市場の中に掲げられた「WAGYU」の看板。かつての台所は、観光の地へと塗り替えられていく
いつまでも昔の錦市場のままで、とは思わない。だが今は、その急激な変化に戸惑っている次第である。



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