美しい言葉に包まれた毒

 前回、釧路湿原のメガソーラー建設問題について書いた。それに関連して、ふと考えたことがある、と記した。これから書くのはそのことだ。

 メガソーラーを建設しようとする業者の社名をニュースで耳にした時、私は「あ!」と思った。賢明な諸君ならその名はご存じだろうが、ここではあえて伏せておく。業者は決して違法なことをしているわけではない。国の定めた手続きに従い、淡々と工事を進めようとしているだけだ。

 しかし、その「社名」がなんとも興味深い。いかにも環境に配慮している風な言葉が使われている。それに「日本」という重々しい単語を組み合わせることで、いかにも社会に貢献しているかのような、ありがたい雰囲気を作り出しているのである。

 だが、彼らがやっていることは、結果として広大な自然を破壊する行為である。景観への影響も甚だしいが、個人的にはあの黒々としたパネルの製造国が某国に偏っていることが、何よりの問題だと思っている。建設すれば各方面が儲かるのだろう。補助金も出る。だからこそ業者は必死になる。わざわざ大阪から遠い北海道の地まで、汗を流しにやってくるのである。

 さっき私が「あ!」と言ったのは、こうした組織が好んで使う命名のやり方に、覚えがあったからだ。

 数十年前、この世には「サラ金」という言葉があった。つまり高利貸しだ。利用者は最後には首が回らなくなり、一家離散や、もっと悲惨な末路をたどることがよくニュースになっていた。

 あの頃のサラ金が好んで使ったのが、「ハッピー」や「ニコニコ」、「ファミリー」といった言葉である。誰も否定できない、聞こえのよい表現を「ローン」や「クレジット」「金融」の前にくっつける。だが実態は高利貸しだ。借りたところでハッピーになどなれるはずもなく、ニコニコ笑っていられるのも最初だけ。ファミリーは離散する羽目になるのだ。

 現代においても、同様の言葉が氾濫している。「エコロジー」や「サステナブル」といったものがそれだ。あるいは「多様性」や「平等」などもそうかもしれない。これらは会社名には直接使われにくいが、その周辺には常にお金の匂いが漂っている。

 今回の釧路湿原の問題にしても、その美しい言葉の裏側には、どろどろとした利権の匂いが立ち込めているように私には思えてならない。

 耳に優しい言葉を看板に掲げ、その陰でせっせと自然を削り取る。その光景は、昔のサラ金が「ハッピー」と書かれた看板を掲げていたのと、少しも変わらないように見える。

 世の中の看板というものは、あまりに立派すぎると、かえって中身を疑ってみたくなるのが私の性分だ。美しい言葉に包まれた毒素は、なかなか気づきにくいものなので、じわりじわりと人々の心に浸透していく。我々もよほど注意深く、その「名前」の正体を眺めなければならない。

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