制服は変わっても中身は不変?電車のホームで考える「組織論」

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 仕事で大阪へ行く。そんな時は電車を使う。JRの場合もあれば、阪急電鉄に乗る時もある。 後者、とくに朝の通勤時間帯の電車を利用する時、私はいつも「組織」について考えさせられることになる。つまり、学生のアルバイトが働いているのを目にするからだ。

 彼らのおもな役割は、電車を利用する、またはホームを歩く乗降客の誘導である。そこかしこで「下がってください」とか何とか、声を張り上げている。おそらく先輩格と思われる者は、マイクを片手にアナウンスしていることもある。なかなか堂に入ったものである。

 彼らを見て、なぜ「組織」を考えさせられるのか。それは働いている学生の風貌を見てのことだ。

 私が学生だった数十年前は、あずき色の制服だった。今は黄色のユニフォームを着用している。その点は変化しているが、そのアルバイトに従事している学生の「雰囲気」が、昔と一向に変わらないからだ。

 おそらく鉄道が好きで、マジメ風。性格は内向的、控えめというか、もっと言えばオタクな感じがする。眼鏡の奥の目が、なんとなく似ている。アルバイトだから定期的に入れ替わっているはずだが、中身の人間の質は、金太郎飴のように一貫しているように思える。私もオタク気質なので、何となく親しみが持てるのである。

 おそらくこのアルバイトは先輩から後輩へ、伝統的に口コミベースで数珠繋ぎ的に続いているのではないかと思われる。「いい仕事があるぞ」と、部室かどこかで囁かれるのかもしれない。また一般募集もしているようだが、そこにはやはり鉄道好きの人が吸い寄せられるように入ってくる。

 彼らアルバイトのグループを組織と見た場合、変えようとしても変わらない独自の風土みたいなものができあがっているのだろう。その頑固なまでの変わらなさは、ある意味で見事である。

 世の中には、無数の組織がある。会社、同好会、家族、もっとゆるい感じだと友達同士。それらが合わさり、社会の意見とか、動きになっているのかなと考える。そうなると、あの黄色い服の彼らが、社会の縮図にも見えてくる。

 そんなことを思いながら、いつも阪急電鉄を利用している。電車が来る。彼らが整列する。私も乗り込む。ただそれだけのことではあるが。

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