昨年、私は久しぶりに二本のギターを購入した。一つはポール・リード・スミスのエレキギター、もう一つはヤマハのアコースティックである。弦という細い鋼鉄の線が空気を震わせる。この単純な物理現象が、人々の心を捉える。
私はギターの音色を電気的に加工する、いわゆるエフェクターという装置が好きだ。新しい機能が追加されたという記事を目にすると、つい手が伸びる。面白い音が鳴るとなれば、なおさらだ。ライブの時にはあれこれ活用しようと考えるのだが、結局のところ、メインで使うのはオーバードライブやリバーブといった、ベーシックなものばかりである。
話は変わるが、ブルースの世界にB.B.キングというミュージシャンがいる。かつて雑誌で読んだところによると、彼はエフェクターの類を一切使わないという。ギターをアンプに直接挿す。ただそれだけだ。アンプのつまみを回し、ギター本体の音量や音質を指先で微細にコントロールする。そうして、あの野太く、豊かな響きを現出させる。
考えてみれば、これは大変に恐ろしいことである。私のような素人は、機械という「外部の力」に頼って音作ろうとする。それに対し、一流の表現者は、そんなものは一切使わない。エフェクターのメーカーにとって、私は実に有り難い、上客であるに違いないが、音楽の真髄からは、かなり遠い場所に立っているような気がする。
この道具に対する考察は、ギターに限らない。私はカメラも好む。仕事でも使うが、一流のカメラマンは、どのような機材を手にしても、見る者を唸らせる作品をものにする。レンズの解像度や画素数の多寡は、彼らの眼差しが切り取る「画」の価値とは、本来無関係なのだ。
結局のところ、B.B.キングの指先も、プロのシャッターも、行き着く先は「弘法筆を選ばず」という、真理にある。道具にこだわるのも悪くはない。しかし、最終的な価値は、道具の機能とは関係がなく、それを使う人間が持つ感性、魂、もう少し浅く言えばテクニックに左右されるのかもしれない。
書いていて、当たり前すぎる話だと思う。しかし、新しいギターを抱え、足元に転がるカラフルなエフェクターを眺めていると、そんな当然のことが、妙に切実な響きを持って胸に迫ってくるのだ。とはいえエフェクターを買うことはやめられないのは残念でもあり、うれしいことでもある。

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