先週、古い腕時計をオーバーホールに出した。日本製の機械式で、六十年ほど前のものだ。祖父が使っていた時計で、私が小学生の頃から、なぜかおもちゃ箱の隅に入っていた。遊び道具ではないのに、ミニカーやカードと一緒に放り込まれていたのだから、今思うとずいぶん雑な扱いである。
時計はシチズンの「クリスタル7」。その中でも33石のモデルで、当時としてはやや高級ラインらしい。とはいえ、今の中古価格は一万〜二万円ほど。市場の評価としては大衆腕時計の位置づけである。それでも文字盤の雰囲気やケースの厚みには、今の製品にはない素朴な味わいがある。私はこの時計が好きだ。
今回お願いしたのは、地元・京都の個人経営の時計店である。創業六十年以上の老舗で、一級時計修理技能士の資格を持つ店主がいる。しかも私より少し若い。これは大きい。こちらが先にくたびれない限り、時計の面倒をずっと見てもらえる計算になる。時計の「かかりつけ医」を確保したような安心感がある。
見積もりは三万五千円だった。時計そのものの相場が一万〜二万円なのに、である。数字だけ見ると、なかなか強気だ。しかし私は迷わなかった。店主によれば、この時代の国産機械式はとにかく頑丈で、整備すれば日差十五秒以内に収まるという。六十年前の機械が、今も正確に時を刻む。そう考えると、三万五千円はむしろ安い投資のように思えてくる。
もちろん、「そんな時計にそこまでお金をかけるのか」と首をかしげる人もいるだろう。リセールバリューだけを考えれば、まったく割に合わない選択である。しかし私はこの時計を売るつもりがない。祖父が使い、長い間眠り、そして再び腕に戻ってくる。その時間の流れに値札をつけることはできない。
今は何でも価格で評価される時代である。便利ではあるが、その分こぼれ落ちるものも多い。市場価格では安物でも、自分にとっては高級品というものがあっていい。今回のオーバーホールは、そのささやかな証明でもある。
数週間後、整備を終えた時計が戻ってくるはずだ。どれほど正確に動くのか、今から楽しみである。祖父の時代よりも世の中はせわしなくなったが、この小さな機械は、昔と同じリズムで進み続けるだろう。その音を聞きながら、私はときどき考える。物の価値を決めているのは、本当に「値段」なのか。それとも、そこに流れ込んだ時間なのか。


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