日本の風景を乱した政治家は誰か

 二〇二五年の暮れ、私は例年通り「重大ニュース」のリストを作成した。自分一人のためのささやかな総括である。いつもは十個ほどを必死で絞り出すのに苦労するのだが、今年は違った。二十を超える候補が手帳に並び、そこから順位を付けるという、贅沢な作業となった。

 堂々の第一位は「大阪万国博覧会」である。母を連れて訪れた会場は、理屈抜きに感動的だった。しかし、その余韻を削ぐような、「不快」がすぐ近くにあった。会場のすぐ横に、大規模なメガソーラーが黒々と横たわっていたのだ。

 メガソーラーは、環境破壊以前に、風景の調和を乱す。少し前にもブログで触れたが、全国各地でこの「黒い鏡」が山肌や沿岸を蝕んでいる。瀬戸大橋を渡り四国へ入る際にも、それは姿を現す。自然を愛する心の働きを、急に遮断されるような残念な心地がする。

 ふと、大阪にこの装置を導入したのは誰か、と調べてみた。記録には当時の市長、H氏だとわかった。氏は今もテレビのコメンテーターとして、正義の味方であるかのように活動している。しかし、一度下した「景観と環境への判断」の責任は、画面の中の勇敢な弁論活動で消えない。テレビ局が、こうした過去の実績を無視して彼を起用し続ける論理は、私のような一介のライターには理解しがたい。

 去年の印象深いできごとといえば、釧路湿原への出張もその一つだった。あの広大な原始の風景の中にも、メガソーラー建設の波が押し寄せている。登山家の野口健氏らが反対の声を上げ、世の注目を浴びたのは記憶に新しい。賛同した私は寄付もした。

 この国立公園へソーラーパネル建設にゴーサインを出した人物を辿ると、意外な名に突き当たる。現職の防衛大臣である。数年前、彼が環境大臣であった頃の判断に行き着くという。現在は防衛の要として「覚醒」したと評価されているが、かつて国立公園の景観を乱すような後押しをしていた事実は、不思議なほど人々の記憶から抜け落ちている。

 政治家の本当の姿というものは、表面的な振る舞いだけでは見えてこない。私たちは定期的に選挙という意思表示をするが、その瞬間の「見栄え」だけに囚われるのは、かなり危うい。過去に何を行い、何を切り捨てたか。その蓄積こそが、その人物の正体であるはずだ。

 目先の利益や言葉の響きに踊らされるのは、もうやめにしないか。風景を汚すメガソーラーを眺めるたびに、私は思う。国民に求められているのは、政治家の「今」だけを見ることではなく、彼らが残した「足跡」をしっかりと読み解く、冷徹な観察眼なのではないか、と。

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